混沌とした時代の流れ、日々の雑念を忘れるため
一旦心を無にし、座禅を組む。
過ぎ行く流転の元、かつての自然と文化が調和した
美しい時代の事を想う。
こうありたい、こうなりたい、と。
私自身は無意識のうちにそれを求めていた。
風土に対する想い、それは
日本人としての、心の中に眠る感情なのだろうか。
こうあるべき、こうなすべき、と。
私はその気持ちが上手く言えなかった。
だから、こうして絵にして伝える道を選んだ。
日本人としての、心の故郷「まほろば」を求めて・・・。
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まほろば
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朧烏 - 2009/11/13 (金) 23:38 Edit
あの事件の出来事ですね・・・。
宗教的背景や当時の状況から見ても非常に難しい問題です。
国際は遺跡や大仏等の世界遺産にしか目を向けられておらず
アフガニスタンで苦しむ民の事は、気にもかけていなかったというのもあります。
過激派による仏像破壊、というのが事実ではありますが
慈悲の心を失った世に対する恥辱のために、大仏が崩れ落ちたと説く者もいる。
それもまた然り。
経文の文章は、初めて知りました。
まさに、この時代を象徴している言葉だとおもいます・・・。
目紛しく変わりゆく今日の世の中。
人々も慈悲の精神を失いつつあり
生まれるのは啀み合いや憎悪。
「仏」とは、真実に目覚めたものの意。
我欲を追い求め、自分のことしか考えない狭い心から抜け出して
真実を見る眼を開くとともに、自分以外の人々のまことの幸せを願う。
浄土真宗の宗祖、親鸞聖人はこの「仏」こそがほんとうの宗教だと説いています。
僕も、こうした啀み合いの生まれる時代に深い悲しみがありますし
自分自身、現代に生きていく中で憎悪や我欲に流されてしまう時があります。
せめて、何か出来ないかと考えた末
絵という表現を通して自然に対する賛美、信仰を表現できないかと想い
今日に至る訳であります。
いつの時も、慈悲の精神を忘れないでいきたいものです・・・。
fk - 2009/11/13 (金) 02:45 Edit
世は儚くうつろうもの。人心も、またしかり。
バーミヤンの巨大仏が過激派集団に爆破された後、その瓦礫から経文が発見されたんですが、その経文は末世の人びとに用いる為の章だったんだそうです。
巨大仏を建てた人びとは、いつかそれが壊される末世が到来する事を予見して、胎内教を収めたんだろうか、と思うと、遠い昔の人の思いと、それに報いることができない現代の者として、申しわけなく思ってしまうのです…